思ったことをつらつらと

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つかの間の

こんにちはー

 

 

 

早くも週末ですね。

 

 

 

 

実は、昨日山を一つ越えました。

 

 

 

 

 

 

そう、学生の締めくくりに課される卒業論文

決まりごとが多すぎる卒業論文

何か一言書けば、引用、参照の嵐の卒業論文

あの憎き卒業論文。。。

 

ずっと家でわめきながら書いていましたが、

なんとか提出してきました。

 

 

 

受かるかどうか微妙なラインなので、

結果発表まで生きた心地がしないまま一ヶ月過ごさないといけませんが。

 

 

 

出したら卒業ってしたらわかりやすいのに。

 

 

卒論を書いていて思いましたが、

これはこう書かなくてはいけない、というルール―が多すぎて、

自分の意見をどこに反映したら良いんだと、イライラがMAXになったので、

改めて、がんじがらめな状態は嫌いなのだなということが確認できました。

 

 

 

 

そして、お次は提出してみて思ったこと。

 

 

提出前はしんどいし、これを堪えて書き終え、提出出来たら

さぞかし達成感が込み上げ泣いてしまうんではないかと思っていました。

 

 

 

 

しかし、いざ提出してみると何の達成感も込み上げてこず、

特に嬉しい!という感情もなく、

いつもと変わらないペースで時間が流れていっている感じでした。

 

 

今のところ2つの原因が考えられます。

 

 

 

1.全然真剣でなかったから、特に嬉しくない

卒論は、ただ書き上げる、という事を目標に

特に内容のないものをだらだらと書いただけだったので、

それにかける思いの量が絶対的に少なかった。

 

 

確かに、これは大いに関係している気がします。

取り組み始めも遅かったし、終わらせることだけが目標で、

やる気も全く起きませんでした。

しかし、卒業したいなら避けては通れない道であり、

卒業への可能性に一歩近づいたという点では喜ばしいことでは?と思います。

 

 

 

そこで、第2の仮説。

 

 

 

 

2.目標を達成しても特に何も変わらないから

 

目標って達成する前は目指す場所で、そのために頑張るけれど、

一度越えてしまうと、あれ?こんなもんなのか、と意外と嬉しさがないです。

思い返せば、何かを達成して嬉しくて思わず声をあげてしまうようなことが意外と少なく(たぶん高校受験合格したときくらい)、

大体どの目標も達成できると、「あ、出来た」のような気持ちで、

むしろ、ちょっと寂しい気持ちになります。

 

意外とこれが最上級の山と思っていても、達成すると山でなくなり、

成長した、前進した、のような実感も得られないので、

いつもなんだかなーと思います。

 

今回の卒論もまさにそんな感じです。

 

 

感極まってしまうような目標を達成してみたいですね。

 

 

 

と呑気なことを言っていますが、

こんなことを言っていられるのもつかの間で、

来月にもう一つ大きな山(思っているだけかも)が控えており、

また自分を頑張って動かさなくてはいけなさそうです。

 

 

 

 

こつこつ行きます。

 

 

 

 

では